序 あなたは満たされた第二の人生を送っていますか

 
  私は2008年1月、満70歳を迎えた。約40年間も勤務した会社を退職して、ちょうど10年たったわけである。その間、同様に定年退職した、他企業卒業生を含めた、多くの定年退職者の生活ぶりを観察していると、2種類に大別できるようである。
一つは、過去の猛烈サラリーマン時代のことは忘れて、旅行や遊び、ボランテイア活動に精を出し、比較的、人生を愉しんでいるタイプ。他は、定年前の第一の人生へのこだわりが強く、機会あるごとに、「私は同世代の仲間とともに会社の発展に尽くし、ひいては、日本の繁栄に貢献した」と主張したがる人たちである。彼らの多くは「健全な家庭を築き、子どもを産み育てて、一人前の社会人に仕上げた」と付け加えるだろう。
いうまでもなく、第一類型の人たちの方が、少しはましな第二の人生を送っている。しかし、問題は、第一、第二の類型にかかわらず、多くの人たちが人生の愉しみ方を知らず、満たされない第二の人生を送っていることである。
その原因は明らかだ。第一の人生を「会社人間」として過ごしてしまったために、仕事以外の人生の送り方が分からないのである。まず、やりたいことがない。あっても、やり方が皆目分からないので、失敗の連続で嫌気がさし、長続きしない。
その点、女性は違う。まず、やりたいことのない人など、見当たらない。やりたいのに、夫や子どもの面倒を見るのに忙しく、やる暇(とカネ)がなかっただけである。第一の人生では、夫に合わせて、表面的には無味乾燥の生活を送ってきた人も少なくないが、心の奥では、人間性豊かな人生を過ごしたいと望んできた妻が大部分であろう。そうでなくては、子どもなど育てられないではないか。
夫が気持ちを入れ替えて妻に従うか、妻が忍耐強く夫をリードしているうちはいいが、夫が強情を張り続けたり、妻の堪忍袋の緒が切れたりすると、「定年直後離婚」の悲劇が起きたりする。

  脱皮できない人たちの典型は「団塊の世代」

  いま、定年退職期の最中にある、いわゆる「団塊の世代」は第二類型に属する人が圧倒的に多いようだ。「会社人間」として過ごしてきた第一の人生に一種の誇りを抱いているのはいいが、それを第二の人生でも引きずり、新しい人生をエンジョイできない傾向を持つ。しかも、彼らは自ら意識していない、他の世代にはない特徴を持っている。 
たとえば、第一に、第2次大戦の敗戦直後、価値観の大混乱期に生まれ育ったせいか、自由に強いこだわりを持つ一方、自立心と責任感に欠ける傾向がある。彼らは60年代後半から70年代初めにかけて「全共闘」など、過激な運動を展開したが、主張が社会に受け入れられないことが明らかになると、自ら“しらけ”、すべての社会的運動からほとんど手を引いてしまった。
 第2に、70年代を中心とする核家族化の先頭を走った世代だが、意外なほど、「家」や「家族」について、古い概念を継承している。言い換えれば、彼らは、「家」や「家族」など、人生における重要な要素について、独自の概念を構築することができなかった。
第3に、団塊の世代は自らを「高度成長を支えた世代」と考えているようであるが、実際は、そうではない。高度成長のシナリオを描いたのは、その前の世代であり、団塊の世代はそのシナリオに従って、懸命に働いただけである。この点でも、彼らは独自の価値観、独自の個性に欠けた世代といえるだろう。もっと若い世代は、とりわけ90年代に、団塊の世代が年功序列制度に基づく高水準賃金や、正規社員などの恵まれた社会的地位に固執したことを捉えて、「勝ち逃げ世代」と厳しく批判している。
このように、団塊の世代の特徴を分析してみると、彼らが、生来、「迷える世代」になりやすい性格を持ち、結果的にもそうなったことが分かる。彼らがいま終えつつある第一の人生をどのように総括し、第二の人生をどのように生きるか、いっそう深い迷いに陥っているのは当然である。

  人間性豊かな第二の人生を目指そう

  第二の人生をどのように生きるかを考えるにあたって、最も大切なのは、「人生を何のために生きるのか」を自分なりに突き詰めることであろう。第2次大戦後、日本人の生き方は大きく変わった。それでも、60年代から始まる経済高度成長期までは、理想を掲げるなり、国、地域や、隣人のために生きる価値を見出した人もかなりいた。しかし、高度成長期以降は、人生の目的は、大部分の人にとって、「自分の幸せのため」となり、もっと端的にいえば、「出世のため」「収入を増やすため」となった。
会社人間や猛烈サラリーマンは、そのような生き方に疑問すら呈しないタイプの人たちである。だが、若い時はそうであっても、定年後の第二の人生においては、「カネや出世のためだけの人生」に安心を得られないのは当然である。ほとんどの人々が、年齢を重ねるのに従って、もっと潤いのある人生、人間性豊かな人生を渇望するようになる。「そうしなければ、自分の人生に満足して、死を迎えることはできない」と考えるからである。
では、「人間性豊かな人生」とは、如何なるものなのだろうか。
まず、自らの個性を存分に発揮する。だが、それだけではない。隣人をはじめ、他の人々を尊重し、幅広い愛情の交流を図る。さらに、この世の中、言い換えれば、宇宙がどのように成り立っているかを考え、宇宙全体の中で、自分がどのような役割を果たし、全体とどう調和していくかに、物理的、社会的だけでなく、精神的にも思いを致す。そのような人生こそ、ヒューマンな人生ではないだろうか。
私たちは、人間性に開眼してはじめて、自然の美や偉大さを本当の意味で認識する。今日、最大の問題になっている地球温暖化問題も、人間が本来の人間性を取り戻さない限り、解決への道筋を発見できないであろう。
もちろん、「宇宙全体のことなど考えられない」という人は、無理する必要はない。一段階目でも、二段階目でもいいのである。しかし、少なくとも、せっかく持っている個性を開花させることくらいは考えてほしい。そうでなければ、だれでも棺桶に入る時になって、「死んでも死にきれない」と思うのではないか。

  「現代のドン・キホーテ」だった玉生道経

  私がこの本でスポットライトを当てた玉生道経(たまにゅう・みちつね)氏は、1910年生まれで、2000年に90歳で亡くなった元・法務官僚である。団塊の世代の親たちより少し前の世代に属する。彼は官僚として、特異な体験もしているが、全般的には、平凡な生活を送った。家庭でも、妻や子供たちに豊かな愛情を注ぐ夫・父親ではなかった。彼が生き方を一変させたのは、法務省を定年退職し、第二の人生に入った時である。プロの画家に転身し、約30年間、狂ったように油彩画を描き続けた。
彼は少年の頃から、心のどこかに、「将来、画家になりたい」という希望を抱いていたことは確かである。しかし、無味乾燥な官僚生活を送るうちに、「第二の人生では、人間性豊かな、自分の気持ちと考え方に忠実な生活を送ろう」と決意したのである。その決意は異常なほど強く、だからこそ、愛妻の死にも、失明の危機にも挫けなかった。

道経の友人や弟子でも、一部の人は、彼の狂気ともいえる絵画への没入ぶりを「現代のドン・キホーテ」と評した。彼は、大真面目に「私は絵画に命をかける」と宣言し、絵を描くのに好適な場所を見つけると、道路の真ん中であろうが、他人の庭であろうが、見境なく絵を描き始めた。遠出したくなると、弟子や友人に車の運転を“強要”し、失明に近い状態の時期は、パレット上で色をつくる作業や筆洗いからトイレットに行くことまで、すべて弟子や家族の世話になりながら、それでも絵を描くことを止めなかった。
「周囲に、余り迷惑をかけるのを控えたら」という友人の忠告に対しては、「俺を手伝いたくて、待っている人だっているんだ」といって退けたのである。

  ドン・キホーテ――狂気と精神の純粋性が共存する人物

  「ドン・キホーテ」はシェイクスピアと同時代に生きた世界的文豪、ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(1547~1616)によって書かれた傑作である。中世の騎士物語の英雄が、当時、なお実在すると信じた、ひょろひょろの初老の騎士、ドン・キホーテは、古ぼけた甲冑(ルビ「かっちゅう」)に身を固め、この世の不正を正そうと旅に出る。この物語は、ドン・キホーテの狂気に対する風刺であるが、同時に、彼の持つ精神の純粋性を評価している。ドン・キホーテは若き日のセルバンテス自身の反映でもあったから、風刺と評価の共存は当然といえる。
「ドン・キホーテ」の読者が、だれも、読み終わった時には、狂気の騎士に好意を抱いているのは、彼の精神の、世にも稀な純粋さのためである。道経が「狂気と奇行の人」であるにもかかわらず、多くの人から愛されたのは、同じ理由からであった。

  私たち、特別な才能にも恵まれない平凡な定年退職者が、道経の真似をしようとしても、しょせん、無理な話かもしれない。しかし、私たちが、将来、棺桶に足を踏み込んだ時、「人間として満足できる人生を送った」と思えるようにするためには、いま、道経と同じように、「第二の人生は、人間性豊かで、自分の気持ちと考え方に忠実なものとする」と決意し、実行するほかないのではあるまいか。
私自身、団塊の世代を含む定年退職者の皆さんに、余計なお節介をしているような気もするが、同じ第二の人生を歩む仲間の一風変わったアドバイスとして、耳を傾けて下されば幸いである。